「ミッドナイトスワン」 はきだめで出会う、2つの孤独な魂。ネタバレあり

MOJIの映画レビュー
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Midnight Swan(2020 日本)

監督/脚本:内田英治

撮影:伊藤麻樹

編集:岩切裕一

音楽:渋谷慶一郎

出演:草彅剛、服部樹咲、田中俊介、上野鈴華、佐藤江梨子、根岸季衣、水川あさみ、田口トモロヲ、真飛聖

 

①ケレン味あふれる、映画らしい映画

ハリウッドの映画がすっかり入ってこなくなってしまった昨今ですが、逆に日本映画の秀作にたくさん出会えるのはいいですね。

これも、面白い映画でした! 実に、映画らしい映画だと思います。

 

新宿のオカマパブで働く凪沙(草薙剛)は、地元の広島で母親と暮らしていた中学生の一果(服部樹咲)を預かることになります。実家から送られる生活費のために一果を預かる凪沙と、ネグレストの母親のもとで育ち、誰とも喋らず心を閉ざす一果の、噛み合わない共同生活が始まります。

学校でも心を閉ざしていた一果でしたが、町のバレエ教室を見て、初めて心が動き出します…。

 

はきだめのような新宿の裏通りで、2つの孤独な魂が出会う。

ほんの束の間、二人は心を通わせ合い、はきだめに美しい何かが出現する。

でも、そんな時は長くは続かない…。

 

映画館の暗闇の中で、基本一人で、スクリーンと対峙する。映画ってそういう、孤独なメディアだったよな…ということを、あらためて思い出しました。

約2時間、闇の中で一人で、物語と向き合う。それによって、ただ物語を楽しむだけでなく、自分の中の何かが、スクリーンに投影されていく…。

 

また、映画は瞬間を閉じ込めるものでもあります。

実際の暮らしの中では一瞬で過ぎ去ってしまう、偶然に現れた美しい瞬間。それをフィルムの中に刻印して、何度でも追体験することができる。

この映画は、それを目指してる。全部が成功してるとは言わないけど、確かに永遠にも通じるような、美しい瞬間がありました。

 

そういった部分が、とても映画らしい映画だと感じました。

だから、筋立ては決して斬新ではなくて。言ってしまえばスポ根というか、オーソドックスな物語なんだけど。

映画的な興奮、魅力、カッコよさ。映画としてのケレン味に満ちた映画でした。

 

②引かれ合う孤独なモンスターたち

映画には、報われない孤独なアウトローが似合います。

それは映画というのが、時間をかけて被写体に寄り添っていく表現だから。

世間に理解されないはみ出しもの…そこには理解されないだけの理由があって、行動が変だとか、見た目が変だとか、普通と違っている部分があるからなんだけど。

そこにカメラが寄り添っていくことで、普通だったら見えない内面が見えてきて、思わぬ感情移入を促されてしまう。そしていつしか、その孤独に共感していくわけですね。

 

新宿裏通りのオカマたち…というのは、多くの映画やドラマでも描かれてきた、まさに典型的なアウトローだと言えます。

オカマ…という言い方も、今はアレなのかな。こういうショーパブでステージに立つ人たちとか、テレビに出る人たちとか、キワモノ的な見え方をむしろ売りにしてる人も多いと思いますが。

ニューハーフ? それも古い? 難しいですね。

 

凪沙は本名は健二で、子供の頃から、自分の性に違和感を感じてきた。

小学校の遠足で海に行って、スクール水着を着られない自分に戸惑った記憶。

今ならまだしも彼の子供の頃で、広島の田舎で性同一性障害を自覚しても、理解者はいなくて、やっぱり孤独でしょうね。

東京に出て、なおかつ路地裏の日の当たらない世界でないと、彼の自己解放は実現できない。

実際、彼はいまだに実家の親にはカミングアウトできていません。

 

一方の一果は凪沙とは世代も立場も何もかも違う、全然似ていない存在なんだけど、でもやっぱり二人は「似たもの同士」なんですよね。疎外された、孤独なアウトローであるという点で。

母親の虐待によって引き離され、家族のある種の世間体によって地元から追い出され、面識もない凪沙(家族にとっては健二だけど)のもとへ行かされる。

愛された経験が不足してるから、誰にも心を開けない。気持ちがいっぱいいっぱいになっても声を出さずに、ただ自分の腕に噛み付いてやり過ごす。

 

学校で、話しかけてきた男子に椅子をぶん投げるのが、すごかったですね。躊躇なくて。

男子は悪気ない感じだったけど。ちょっとかわいそう…。

 

椅子投げられた男子とか、クラスで遠巻きに見てる子供たちにとっては、一果は得体の知れないモンスターに思えることでしょう。

それは、長身にキツい化粧をした凪沙も同様で。

人々に理解されない孤独なモンスター。そしてそんな孤独が、偶然にかかわり、徐々に深く結びついていく感動…。

 

フランケンシュタインからジョーカーまで、これはまさに映画の原風景とでもいうべきモチーフです。

③バレエで高みへ昇る説得力

そんな一果が目を覚ますきっかけになるのが、バレエです。

酒とゲロと大人のエゴにまみれた吐きだめで、醜いアヒルの子が白鳥になって、羽を広げ、どん底の人々に美しい世界を垣間見せて、そしてやがて外の世界へと飛び立っていく。

そんなおとぎ話に、バレエという様式美の世界はとてもよく似合います。

 

自分を殺して死んだように生きていた一果は、踊ることで本来の生命力を取り戻し、どんどん美しくなっていきます。

その説得力がすごい。一果を演じる服部樹咲が、画面の中で脱皮するようにみるみる美しくなっていきます。

 

一果を疎ましがっていた凪沙の目が開かれるのも、どん底状況からの脱出を導くのも、すべては一果の踊りの美しさなのだから、その説得力は本当に本作の最大のかなめです。

そこが本当に、見事でした。実際に幼い頃からバレエをやってきた服部樹咲の肉体の説得力と、実力者による丁寧な監修の賜物なのだと思います。

 

美しさに憧れる凪沙にとって、バレエを踊る一果は「凪沙が心の底から欲しくて欲しくて、それでも絶対に手に入れられないもの」を体現する存在です。

それを目の当たりにした凪沙は…嫉妬してそれを潰そうとするのではなくて…それを守ろうとしていきます。

凪沙にとって何よりも大切な女性の格好を捨ててまで、一果のために金を稼ごうとするのは、感動的です。

 

最初は全然心が通じていなかった凪沙と一果が、まるで本当の母子のように、夜の戸外で一緒に踊るシーンが印象的でした。

どこか、お店の前みたいな場所なんですよね。賑やかな団欒の場と、そこから漏れる光を背にして、暗がりの中でひっそりと踊る二人という、この構図も実に周到で。

二人が、実にいいムードで言葉を交わし合い、笑い合う。そんな時間が、これからもずっと続けばいいのに…と思わされます。

 

でも、この「いいとき」は本当に一瞬だけなんですよね。

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刹那的だからこそ輝いていて、一瞬だからこそ永遠に記憶に刻まれる。

瞬間の中の永遠をフィルムに刻む、それこそが映画ですね。

 

④さまよう孤独な魂たち

凪沙と一果だけじゃない。その周りの人々も、それぞれの孤独を抱えています。

凪沙と同じショーパブに勤めていたけれど、男に騙されて転落していく瑞貴(田中俊介)

金持ちの両親のもと不自由なく育ったけれど、生きづらさを感じているりん(上野鈴華)

 

皆に共通するのは、「どうして私だけが?」という心の叫びです。

どうして私だけが、自分の体の性別に馴染めないの?

どうして私だけが、母親に愛してもらうことができないの?

どうして私だけが、誰にも理解されず孤独に生きていかなきゃならないの?

他のみんなは普通なのに。どうして私だけが?

 

孤独は死に至る病で、彼らを少しずつ蝕んでいく。

それがやがて一線を超えると、事件を起こして逮捕されたり、ビルの屋上から飛び降りたり…ということになってしまう。

 

凪沙によって孤独を癒され、バレエに打ち込むことで、一果はどうにかサバイバーになっていきます。

しかし、凪沙の辿る道は悲惨です。白鳥を羽ばたかせた後、凪沙は一人で沼に沈んでいくことになります。

 

終盤の凪沙の描写は、本当に痛々しいのだけれど、でもそこで凪沙はそれまでの迷いを断ち切り、自分の人生を決断することができているんですよね。

タイに渡って手術を受けて体も女になり、その姿で実家の母親のもとに現れる。

子供の頃からずっと隠していたことを、母親に打ち明ける。これは凪沙なりの思いを込めた行動だと思いました。悲しいかな、バケモノ扱いされてしまうのだけれど。

 

ボロボロになってしまった凪沙は、でも「どうして私だけが?」とは言わない。彼女には一果がいて、もう孤独ではなくなっていから。

凪沙に別れを告げた一果は、美しい大人の女性に成長して、ニューヨークのステージに立つことになります。

 

ここでの一果の姿を見ていると、彼女が「ファム・ファタール」であるようにも見えてくる。

思えば、彼女は凪沙やりんのような、近くにいた人々を虜にして、破滅させ、その生命をすべてエネルギーとして取り込むことで、美しく成長してきた…というような見方もできるんですよね。

まさしく映画的な、魔性の女。そんな裏読みも、最後にできたりする。

 

エンドクレジットの最後に、凪沙と一果の「決めカット」が映し出されて、これが実にカッコいいんですが。

これなんてまさに、「いちばんいい時の凪沙と一果」と、ファム・ファタールとしての一果が合わさった、あり得べきもう一つのミッドナイト・スワン

こんな映画も観てみたい!と思わされます。

⑤草彅剛と服部樹咲のすごさ

凪沙を演じた草薙剛、素晴らしかったですね。

決して美しいとは言えないオカマの役で、最後の方なんて生々しくて赤裸々で、覚悟のいる役だと思うけど。

壮絶でしたね。「草薙くん」ではない、凪沙という人格が確かに出現していました。

 

香取慎吾にしろ稲垣吾郎にしろ、「新しい地図」の人たちが映画で見せる姿は、本当に魅力的です。

ただ演技が上手いというのとも違う、一種異様の存在感

ベテランの俳優にも出せない、独特の無比の存在感を放っているんですよね。三者三様に。

 

今回の凪沙を見てあらためて思ったのは、彼らの独自性は、彼らのある種のモンスター性にあるんじゃないかな…ということ。

少年時代から芸能界で過ごし、しかもジャニーズ事務所のスマップという、日本の芸能の最前線の現場に立ち続けてきた。

プライベートも虚構に侵食されていくような、ハードな現場に数十年。

独立騒動とか、事務所への謝罪までがエンタメとして消費されていくような異様な世界に立たされれてきた。

そんな存在はもう既に一般の人間とは違う、いわばモンスターで、はじめからモンスターの孤独を身にまとっている。

だから、凪沙という孤独なモンスターの役柄は、本人のように憑依することになりますね。

この存在感を持つ三人は、本当に日本映画界の宝じゃないかという気がします。

 

そして、服部樹咲も素晴らしい。バレエの経験はあるけど、演技未経験というのが驚きです。

映画の中で見せる、目を見張るような変化。本当に草彅剛と一緒で、役が憑依したような。

これからが楽しみです。本当に。

 

 

 

Source: MOJIの映画レビュー

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